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年末あいさつ(2013)

鶯谷中学・高等学校

校長 小邑政明

 生徒の皆さんに2013年の終業にあたり、あいさつをさせていただきます。

 

 最初に、大きな事故もなく2013年の終業の日を迎えることができました。これはひとえに生徒、職員、保護者の皆さんをはじめ、学校に関わるすべての人々のおかげと深く感謝します。

 

 本日は、人の歴史と自然との関わりについてお話をします。具体的には、徳川家康を祠った日光東照宮に関する逸話をお話しします。諸説がありますが、代表的な説をとりあげます。大阪夏の陣で豊臣氏を滅ぼした家康はその翌年に亡くなりますが、遺骸は家康の意志で一年間静岡市の久能山に埋葬され、そののち日光山に移されます。そして、三代将軍・家光によって増築され、今日の日光東照宮となります。ここで、問題としたいのは、なぜ日光の位置なのかということです。

 

 第一に、日光は久能山と富士山を結んだ線の延長上にあります。ここで言う富士山は「富士の山(ふじのやま)」であり、それは「死なない、不死の山」に通じます。こうして家康の魂は日光に運ばれることによって「不死の存在、つまり、永遠に生きる神」となって日光に祠られるのです。

 

 第二に、日光山は江戸城の場所から北極星の見える方向を上に向かって引いた直線上にあります。これは、すべての星が北極星を中心に天球を回っているので、北極星は宇宙の中心であると考えられていました。そして、北極星に向かう道が「北辰の道」です。ここは神仏だけが通ることができる道なのです。

 

 まとめると、久能山に埋葬された家康は、久能山から富士山を経て永遠の存在である神となって日光東照宮に祠られ、神だけが通行できる「北辰の道」を通って江戸に戻り、江戸を守る、このような考え方に基づいて日光という場所が選定されたと伝えられています。

 

  私は、地図帳上で、静岡市の久能山と富士山を結ぶ直線と、江戸城があった場所にある皇居から、北極星が見える真北の方向に直線を引いてみました。この二つの直線の交わった場所から西にわずか10㎞行ったところに日光東照宮があるではありませんか。航空写真もないこの時代の測量技術で、どのようにしてこれほど正確に日光東照宮の場所が特定できたのでしょう。驚くばかりです。しかし、数日後、この驚きは新たな推測に変わりました。皇居と日光東照宮を結んだ直線は、真北から西に7度傾いているのです。そしてこの7度は磁石がさす北と真北とのずれと一致しているのです。すなわち、仮に、北の方向を真北ではなく磁石の示す方向とすれば、二つの直線の交わりの場所に日光東照宮があるのです。これが事実ならまさに「神業」です。

 

 さて、同じようなことが我々の身近にもあります。岐阜市には、初詣で多くの参拝者がおとずれる伊奈波神社があります。また、今年の秋、中等部の皆さんが座禅でお世話になった瑞龍寺があります。

 

  両方とも岐阜市を代表する神社、お寺です。そして、なんとその二つを結ぶ直線上に、そして真ん中に本校鶯谷中学・高等学校があります。二つのパワースポットの中心に本校があることになります。私は、このことに気付き、大変驚くと同時に、この学校に勤めてから常に感じていた巨大なエネルギーの訳が納得できました。

 

 そして、神社とお寺という宗教上の違いを超えて大切にされていることを心に留め置きたいと考えています。それは、常に身の回りをきれいにし、謙虚な気持ちで自分を高める努力を怠らないことです。生徒の皆さん、職員の皆さん、二つのパワースポットの中心で自ら精進を重ねそれぞれの夢の実現を図りましょう。

 

 来年の一月八日始業の日に、皆さんと元気な姿で会えることを祈願して、本年度の終業のあいさつとします。どうぞよい年をお迎えください。